良いモノは複雑なモノ?

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ここ最近、達成感があったことの一つが、文学賞をとるような名作と呼ばれる作品の面白さがわかったことでした。いわゆる難解そうなもの。例えば、ガルシア・マルケス『百年の孤独』のような肉厚で骨太な小説を読んで面白かったと感じるようになった。この感覚、昔はなかったんですよね。

 

この手の文学作品は、歴史的にも批評家にも「良いもの」と評価されているわけだけど、あまりピンと来ないひとも多いように思います。なんだかよくわからない。なにが面白いのかまったくわからない。そう感じるヒトが多いように思います。

 

でも、音楽も似ていて、好きな人は次第にクラシックやジャズや抽象的な現代音楽など複雑なものに辿りついていく気がする。音楽を探求していく人はみんなそんな傾向があると思う。なぜか最後はみんなクラシックを聴くように。

 

小説も音楽も良いと呼ばれるものは「複雑なもの」ではないか。

 

小説でいえば、さまざまなテーマや作者のメッセージが入っていたり、無数のエピソードが織り込まれていて単純な一本線のストーリーではないもの。いやぁこの面白さはヒトコトでは言えないんだよねというようなもの。

 

音楽でいえば、たくさんの音数があって、重層的で立体的で簡単に表現できないようなもの。または、その場の雰囲気で演奏がどんどん変化していき、その先の予想がつかないもの。そんなものが「名曲」と呼ばれている気がする。

 

なぜか。やはり言語化できないものを面白いと感じるのではないか。感覚的なもの、肉体的なもの。うまく表現できないけど、いいんだよねぇというようなもの。言語で表現できるものはつまらないと感じるのかも知れない。言語化できないものは複雑であるか、または極限までシンプルなものか。

 

小説は言葉で書かれているが、それでも言語化できていないのだと思います。なにか抽象的な概念を物語という形に置き換えているけど、でも、それは言語化できているわけではない。だから、良い小説だって理解するものでなく、感じるものなのだなぁと思っている。