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イギリスのEU離脱をみて社会の「格差」に思うこと

時事ネタ

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イギリスがEU離脱という選択しました。この原因の一つに「格差」があると多くの知識人が指摘しています。

「格差」の中身はまちまちで、エリート対ブルーカラー、EU加盟による恩恵を受けているか否かという利害の違い、グローバルか反グローバルかというイデオロギーだったり、シンプルに貧富の差を指摘する人もいます。

今週は色んなメディアでこの「格差」に対する議論を読みましたが、ここ数年漠然と感じていたことと繋がってきて、すっと腹に落ちた気がしました。

それは「格差」の本質は、インターネットなどのICT技術が発展したことで、人間の性能差がどんどん大きくなっていることではないか、というものです。

江戸時代を想像すると、優秀な人間もそうでない人間も、生産性はそう大きく変わらなかったでしょう。重い荷物を持つことも、早く走れるかどうかも、比率でみれば個体差はそう大きく無さそうです。

しかし、知的生産の分野は個体差が大きく出ます。プログラマやデザイナーなどクリエイティブの職業は効率性もさることながら、より上流にある発想や着想などで差がつきます。個体差が江戸時代とは比べ物になりません。

ましてや、組織化に頼らず1人でも価値を出せる=稼げる環境も整ってきています。ブログやYouTubeなどのメディアはもちろん、ネット証券が爆発的に普及し手数料コストが激減したことで、金融セクターでも個人投資家が増えました。3Dプリンターや人工知能発展によって、製造業などの分野でも、より上流の知的生産の重要性が高まるでしょう。

多くの価値を生み出した人間が富を得る。この壮大な成果主義が資本主義のルールですが、これに従えば、人間の性能差が開くほど、富も偏在することになります。

食べるものがなく、病気で死ぬ人も多い、高度成長が必要な時代はこの成果主義がうまく機能していたのでしょう。なぜならば、富が偏在したとしても、社会全体が成長することで、例えば食べ物に困らなくなったり、移動が楽になったりして、万人がイノベーションの果実を享受できたからです。

しかし、いまは社会の生産性が高まり、生きるだけのコストは極めて低い。優秀な人間が行う生産の中心は、娯楽や快適さ、もしくはお金を循環させるだけの金融サービスなどにあって、恩恵を感じない人が増えている。これが格差の根本だと感じます。

そもそも、そのアウトプットに価値があるのか。社会に必要なのか。であれば成長しなくていいのでは?という根本的な疑問が人々の根底にある気がします。ポートランドやノマドなどのブームが象徴的なような。

いま先進国を取り巻く低成長が循環的なものなのか、それとも私たちは「歴史の終わり」に近づいているのか、どちらかわかりませんが、いずれにせよ昨今の国際経済はホントにエキサイティングで見ていて飽きません。

私たちはいま資本主義の最先端にいるのかも知れませんね。