『マッチポイント』から人生を学ぶ

f:id:pekey:20200518221406j:plain

全く救いようがないストーリーで、そこがウッディ・アレンらしく良かった。

金持ちの奥さんに浮気がバレそうになった主人公が、このままではヤバイと不倫相手を銃殺する。もちろん容疑者として警察に捜査を受ける。しかし、幸運にもまったくの別人が犯人とされ、主人公は悠々自適に暮らしていく。まったく倫理観が欠けている。

この主人公の身勝手さ、浮気を追い詰められていくところが実に生々しい。不倫相手が次第にヒステリーになる。嫁の実家に電話を架ける。「もう全部言ってやる」と叫びちらす。ホラー映画より恐ろしい展開で、もう画面を直視できなかった。

この不倫相手役のノラをスカーレット・ヨハンソンが演じている。薄幸な子にありがちな弱さ。この演技が上手い。ここに本作の真骨頂があります。

セクシーで美しいけれど、決して尻軽ではない。女優という高い目標を目指しており、うまくいかないが、ブティックで地道に働いている。真面目に生きている。

しかし、致命的に流されやすく、知性がない。自分の感情を抑えきれない。人の気持ちを洞察できない。不倫相手である主人公の子供を妊娠してしまうのだが、そのときのセリフが「これで堕ろすのは3回目だから、もう堕ろしたくない」。この言葉に彼女の人生がすべてが表れている。

さて、作中で主人公が逮捕されなかったのは、まったくの偶然。たまたま捨てた証拠品を、たまたま拾ったホームレスが犯人に間違われたのだ。なので、この映画のテーマは「結局、すべて運」と思える。

しかし、ぼくは違う解釈をした。運は結果にすぎなくそれを引き寄せる「知性」や「強さ」にこそが大切なんだ、これがエッセンスでないか。私たちはみな、くれぐれもノラにならないように、と。

『マラヴィータ』を見る

テレワークをきっかけに映画を見るようになった。

4月は毎日2本のペース。恐らく人生で最も映画を見た。さすがに飽きてペースダウンしたが、それでも5月に入ってからも、2、3日に1本のペースで見ている。

最初は見たい映画リストを作っていたが、消化することに義務感が出る。これは良くないと思い、そのときの気分で選ぶようにした。

逆に見た映画をリストへ。これによれば、先頭は「の・ようなもの」、新しいものは今見終わったばかりの「アフターアワーズ」、一番印象に残っているのは「ディアハンター」、ホントにクソだったのが「カジュアリティーズ」になる。

f:id:pekey:20200517231316j:plain

さて、昨日は『マラヴィータ』を見た。

主人公はロバート・デニーロで、仲間を密告してFBI保護プログラムで引退したマフィア。スコセッシのような配役だね、と思っていたら、作中で本当にデニーロがグッドフェローズを見るというメタ的なシーンがある。そこから、グッドフェローズのイントロで流れる印象的な音楽が、次のシーンにオーバーラップしていく。好きな人はたまらないはずだ。ぼくも痺れた。

このシーンを見て、この映画はスコセッシのギャング映画へのオマージュか、または皮肉なんだな、と理解した。監督はリュック・ベッソンで、グランブルーとレオン以降はあまり名前を聞かない。

つまらなくはないけど、2回は見ない。そんな映画だった。リュック・ベッソンの名前を聞かないのがわかった気がした。

さて、邦題のマラヴィータはデニーロ一家に飼われている犬の名前から取っている。「裏社会」という意味のようだ。原題は「The Family」なのだが、これは邦題「Maravita」の方が良いと思う。

和田誠が死んだ

私の父親は編集者だった。良く遊びにくる叔父がいて、1人はCFプロデューサーで、もう1人は建築家。そんなド文化系の彼らはよく食卓を囲みながら文芸の話をした。

食卓の話題は音楽から小説まで多岐に渡ったのだが、中でも映画が一番多かった。食べながら見ることもよくあって、「ここのドヌーブの表情がいいんだ」やら「このタバコが伏線で効いてくる」とか言いあいながら、やいやい見る。幼い私はこの会話に参加することが憧れていた。

そんなわけで、小学校も高学年になる頃には、すっかり映画少年になっていた。それも、ワイルダーやヒッチコックを愛するかなり渋めというか、2世代ほど昔の映画ファンになってしまった。修行のように映画を見まくったこともあって、『大脱走』の頃はまだ残酷な描写が少なくて良いね、なんて会話を食卓でした記憶がある。いま親になった身で思い返すと、親父もわが子の行く末を心配したはずだが。

この元凶が『お楽しみはこれからだ』である。家の本棚で見つけて、まずタイトルに痺れた。当時の映画のタイトルは、かなり意訳したものが多く、例えばヒッチコックの To Catch a Thief を『泥棒成金』と訳している。親父に言わせれば「脂っこい翻訳で気持ち悪かった時代」だそうだが、私は大いにカッコいいと思った。

『お楽しみはこれからだ』は、名ゼリフをテーマにして映画を紹介する和田誠の代表的なエッセイであり、タイトルも名台詞から取られている。見開きで一組。最初に書かれているのは映画のタイトルではなく名ゼリフで、そのあと、そのワンシーンについてウィットに富んだ文章が書かれる。反対のページには大きく似顔絵イラストが描かれていた。和田誠の本業がイラストレーターだったことを知ったのは後のことだ。

以来、和田誠ファンになった私はほぼすべての著作を読んでいると思うのだけど、特に印象に残った作品が2つある。1つめは、『銀座界隈ドキドキの日々』というエッセイだ。

銀座百点というフリーペーパーに和田誠が連載していたエッセイを文庫化したものだったと思う。タイトル通り、和田さんが多摩美術大学を卒業して、銀座にあるライトパブリシティという広告制作会社に入社してから、独立して青山に事務所を構えるために銀座を出るまでの思い出を書いている。当時は、マスメディアが成長して、それに伴い広告業界がぐんぐん伸びている時代だったのだろう、様々な才能がライトという会社に集まって、いまではみんなが知っているような作品が、例えばNHKの『みんなのうた』とかが、生まれていくところが綴られており、高校生だった私は将来に夢膨らませながら何度も読み返した。

この記事はすべて記憶を辿って書いているが、20年たった今でも、本書に書かれたエピソードを覚えている。著名なフォトグラファーが来日したときに彼は「キミノブ」ではなく初めて「キシン」と名乗った。そのとき篠山紀信になったのだ、とか、人生で一度のオリンピックが開かれているときに日本にいないのはクールではないか、といって横尾忠信とヨーロッパ取材に行った、とか。

もう1つは『それはまた別の話』である。

これは、三谷幸喜と和田誠が連載していた映画コラムをまとめたものだ。『お楽しみはこれからだ』と趣旨を大きく変えて、1本の映画を頭からお尻まで語りつくす、という形式になっている。このタイトルも『あなただけ今晩は』というワイルダーの名作の中でバーテンダーが言う口癖からきている。この本とどちらが先か知らないが、三谷幸喜の『王様のレストラン』で松本幸四郎が言うセリフはこのパロディだ。

『アパートの鍵貸します』でシャリー・マクレーンが脇役のように登場してからぐんぐんとヒロインになっていく演出が上手い、とか、『裏窓』の撮影が終わった後にグレースケリーがモナコ王妃になってしまうのでその後のヒッチコック映画に出ていなくて残念だ、とか。こんな具合に、映画に対するピュアな愛情があふれていて、小賢しい講釈は一切ないところが良い。

 

初めて『お楽しみはこれからだ』を読んだときだったか、ふと親父に和田誠って有名なの?と尋ねたことがある。この質問に「亡くなったとき、大きく新聞には載らないだろうけど、多くのファンが悲しむだろうね」と彼は答えた。今回、和田誠の訃報を聞いたときに、この記憶が鮮明にフラッシュバックして、このエントリーを書かずにはいられなった。

合掌

新潮クレストブック20周年とクレストシリーズのベスト20

f:id:pekey:20180924010252j:plain

海外小説を紹介し続けて、新潮クレストブックが20周年だそうです。

新潮社のサイトでは、20周年を記念した文章が掲載されていますが、これを少しだけかいつまんだだけでも、小説への愛情がひしひしと伝わってきます。

世界のあちこちで日々生まれている新鮮で上質な作品の数々を、内容にまさるとも劣らないブックデザインで読者にお届けしたい

中身はどんなに重量級でも、持ち重りしない軽くてしなやかな本に

本文用紙にはフィンランドの輸入紙を(これはのちに近い風合いをもつ国産紙に変更)、表紙には独特の手触りとしなやかさをもつ新しい特殊紙を採用

シリーズデザインとしての統一部分は本の背表紙と裏表紙だけにし(略)完全に自由なものとしました

ただひとつ心がけているのは、ともかく「よい作品」(と担当者は考えるということですが)を厳選すること

こんな気骨のあるシリーズが20年間に渡って続いたことを嬉しく思います。

美しく装丁された本で読むと、たまに上質なホテルに宿泊するかのように、心がリフレッシュします。そんなクレストシリーズのトップ20をリストにしました。心が疲れたときのブックリストでお使いください。

 

Title Author
朗読者 ベルンハルト・シュリンク
停電の夜に ジュンパ・ラヒリ
いちばんここに似合う人 ミランダ・ジュライ
ペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ
イラクサ アリス・マンロー
パリ左岸のピアノ工房 T・E・カーハート
素数の音楽 マーカス・デュ・ソートイ
冬の犬 アリステア・マクラウド
ソーネチカ リュドミラ・ウリツカヤ
すべての見えない光 アンソニー・ドーア
千年の祈り イーユン・リー
終わりの感覚 ジュリアン・バーンズ
オスカー・ワオの短く凄まじい人生 ジュノ・ディアス
ウォーターランド グレアム・スウィフト
未成年 イアン・マキューアン
屋根裏の仏さま ジュリー・オオツカ
タイガーズ・ワイフ テア・オブレヒト
遁走状態 ブライアン・エヴンソン
あの素晴らしき七年 エトガル・ケレット
四人の交差点 トンミ・キンヌネン

あらすじが即ネタバレ 宮部みゆきの最高傑作『ぼんくら』

ぼんくら(上) (講談社文庫)

本棚を整理していると、どうしても昔の本を読み返してしまいます。そんなわけで、宮部みゆき『ぼんくら』を再読したのですが、やはり面白くて、こうしてレビューを書くことにしました。

 
私は『ぼんくら』が宮部みゆき作品の中で最も好きです。ストーリーが面白いのはもちろんですが、それだけではなく、本書は構成そのものが壮大なトリックになっている、その仕掛けが好きなんですね。
 
宮部みゆきといえば名作『火車』をはじめとした本格ミステリーが有名ですが、キャリアの初期から『本所深川ふしぎ草紙』のような時代小説も手掛けていました。
 
時代小説にありがちな短編集ってありますよね。町人や商人が主人公で、やや不思議な出来事や人情あふれるドラマがある、といった小噺のもの。宮部みゆきも似たような、失礼だけどよくある感じの、時代小説も書いています。
 
なので本屋さんで手に取ったきっかけも、たまには軽い短編でも読もうかな、という気持ちでした。活字で時間がつぶれればいいや、てな具合です。
 
最初の章のタイトルは「殺し屋」。ある夜、とある長屋で太助が殺される。残された妹・お露は茫然自失で「殺し屋がやってきて兄を殺した」と。しかし、夜分に人が通った音は誰も聞いていない。ましてや、お露の着物には返り血がべったりとついている。殺し屋なんていなかったのではないか。殺したのはおそらく…。でも、調べるほどに、寝たきりの父親や、遊女にかまけていた太助、など止むに止まれぬ事情が出てきて…。
 
といった具合に、次の章「博打打ち」でも同じ長屋を舞台として、似たような人情小噺が続いていくわけです。ああ、よくある人情話か。読み手はよくある時代小説の連作かと思いながら、気を抜いて読んでいくのですが、次第におや、と。
 
ちょうど同じ頃、ぼんくらな主人公である井筒平四郎がなぜ同じ長屋でトラブルが続くのか、を疑問に感じはじめ、これまでの小さな小噺は実はすべてつながった大きな1つの事件であることが明らかになっていくのです。
 
この『ぼんくら』には元ネタがあり、半村良『どぶどろ』をオマージュとして書いたことを宮部みゆき自身が認めています。確かに『どぶどろ』も同じ構成なんですが、短編から長編につないでいく上手さは『ぼんくら』が圧倒してるでしょう。マイベスト宮部です。