『東京いい店やれる店』 サブカルチャー史に残すべき名作

東京いい店やれる店

東京いい店やれる店

 

この名作を知らないあなたへ。

1994年に出版された名著。作者であるホイチョイプロダクションズは、テレビや映画のシナリオや、ビッグコミックスピリッツで長期間連載している「気まぐれコンセプト」などで有名な放送作家チーム。

この本は、インターネットが始まる前、今まさに無くなりつつあるマスメディアから生まれたギョーカイ文化の集大成だ。本来、このようなウィットに富んだ粋な本を、こうしてマジメに紹介することは本当に本当に野暮だと思うが、少しだけ思いの丈を書きたい。

ヤフージャパンが誕生した1995年をインターネットが生まれた年とするならば、その前年に出版された本書は、テレビが広告を支配していた時代のまさに最後に出版された。(驚くことにテレビ局と電通に内定をもらうことがステータスの時代だった!)マスメディアにお金が集中することの良し悪しはたくさんあって、その功罪はここでは書かない。ただ一つだけ確かなことがある。費用対効果なんて言葉がなかったこの時代の広告費によって、この余ったお金によって、多くの良質なサブカルチャーが生まれたことだ。

例えば、テレビ番組の深夜枠。まだゆとりがあるテレビには、才能あふれる人間だけ(ここが玉石混合のインターネットと違う)が集まり、視聴者が少ない深夜帯を使った実験的な番組が生まれた。また、なにを伝えたいのかまったくわからないが現代アートのように美しい広告が数多く発表され、商業美術がピークを迎えた。

例えば放送作家の小山薫堂さんによる「カノッサの屈辱」という番組があった。「渋谷109のコギャルのような現在のトレンドを、史実になぞらえて解説する」というコンセプトの番組で、「カノッサの屈辱」という山川の世界史用語集を丸暗記していた受験生にしかわからないようなスノッブなネーミングからして、らしさがある。

インターネットが普及してメディア同士の競争が増してしまった今、こんな大衆ウケしない洗練されたコンテンツに生きる余地があるだろうか。きっとまったく無い。ヴェルサイユ時代に貴族がモーツァルトのパトロンになったように、テレビ時代はその巨額の広告費が才能ある放送作家による文化を生み出したのだ。

本書はそんなギョーカイ文化の集大成の一つである。

タイトルどおり「味はどうでもいい、女の子を落とせる雰囲気があるかどうか」という下世話だけど真芯をとらえたコンセプト。身も蓋もないタイトルでありながら、装丁はスタイリッシュに。サブタイトルは「TOKYO BEAUTY AND BEAST」。超えては行けない線を、「ちょっとだけ超える」まで遊ぶ感覚。最高に粋だし、当時を追体験する意味でも、この本を存じない世代の方には強くお勧めしたい。

なお、ぼくのお気に入りのフレーズは、「良い店とは、味ではない、女の子を落とせる雰囲気だ」というコンセプトに徹する本書のなかで、渋谷『小笹』を評した次の一文。

なお、本書にはまったく関係ないことであるが、この店は味も良い。

この感覚が最高に粋だ。

ちなみに、20年前の本なので(しかも本当に雰囲気しかない店も取り上げているため)、紹介されているお店の過半数は既にない。2012年には続編が発売されたが、悲しいかなデフレな世相を反映していささか実用的な方向に行き過ぎており、オリジナル版のような「粋」さは失われている。

 

新東京いい店やれる店

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更新履歴

2018.8.17 思うところあって加筆修正