ソーセージエッグマフィンはいくらか?

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ソーセージエッグマフィンの価格から学ぶモノの値段の話。

 

この春から、朝家を出る時間を30分早くした。仕事を始める前に、少しゆとりが欲しいと思ったからだ。必然的に朝ごはんを外で食べる機会が多くなって、たまにマクドナルドに足を運ぶようになった。 

ぼくはいつもソーセージ・エッグ・マフィンのセットを注文する。440円だ。仮に毎日かかると考えると、それなりの金額になる。でも、ある朝ふと思った。ぼくの支払っている金額は高いのではないか、と。 

ぼくが行くマクドナルドは渋谷にあって、朝の時間は学生風のお客さんが多い。注文を待つあいだ、他人のオーダーを眺めていると、だいたい200円や300円なんだ。これはどうもおかしい。

そう思ってメニューをちゃんとチェックした。どうやら「コンビ」というセットメニューがあって、マフィンにコーヒーがついて200円だそうだ。

普通のセットはマフィンとコーヒーに加えてポテトがついてる。その差はポテトの有無だけど、どう考えてもポテトに差額240円の価値はないだろう。さらにいえば、マフィンのなかにも単品100円で売っているものがあるから、300円あればマフィン2つにコーヒー1杯が買えることなる。

つまり、マフィンの価格はオーダーの仕方によって変わる。

 

マーケットは一つでない

考えてみれば当然のことだ。

市場取引では、売り手と買い手の需要と供給によって透明性の高い公共の場において価格が決定される。もちろん、これは株や為替、一部の商品など、「マーケット」が存在する一部の分野に限った話だ。

不動産も車も、または広告やシステム構築などBtoB取引に至ってはほぼ全てが相対取引だ。もちろん、相対取引でも価格は売り手と買い手の需要と供給によって価格は決まる。しかし、その場は必ずしも透明でないため、隣の人と同じ価格とは限らない。

これを類似する話が会計学の世界でもあるようだ。

会計学の古典的なテーマの一つが「取得原価主義と時価主義のどちらを選択すべきか」という点だ。例えば、ある土地を3,000万円で購入したとしよう。後日、その土地の価格をインターネットで検索したところ、その土地は約4,000万円に値上がりしているようだ。この土地をいくらで評価すべきか。

取得原価主義の論者は、この土地は3,000万円である、と主張する。その根拠の一つが、土地の価格がいくらか合理的かつ客観的に評価できるとは限らないからだ。

その土地が4,000万円かどうか、これは一つの市場で合意されたわけではない。ある一人のお金持ちが提示したに過ぎない(まぐれの)価格でないと、どうして主張できよう。

つまり、マーケットが一つでないものは、複数の価格が存在するからだ。(ちなみに、マーケットが一つである株や為替などの金融商品は時価評価することを取得原価主義者も合意した)

このマーケットを取り巻く問題は、インターネットが浸透して少し解決したという意見もある。

アマゾンマーケットプレイスを利用すれば同じ商品をより高い値段で買う必要はなくなる。価格ドットコムを使えば同様のサービスをより安く提供できるプロバイダを探すことができる。

でも、これは売り手にとって望ましいことではない。なぜならば、この世には同じ商品に高い価格を支払う顧客がいるからだ。本音を言えば売り手はみんなこう思っている。「その人が出せる、一番高い価格で買って欲しい。」

これは情報リテラシーの違いだけではなく、お金に対する価値の違いが人によって違うからでもある。

イチローがマンションを購入するときに、1,000万円の差にこだわるだろうか。きっと彼は1,000万円という金額より「手間のかからなさ」「サービスマンの印象」「商品を気に入ったか」など、サービスの価値を重視するのではないか。

冒頭のソーセージエッグマフィンのようなケースですら、この「お金に対する価値観の違い」がよりミクロなレベルでもあるだろう。ゴールドマンサックスのトレーダーと大学生では、100円の重要さも違うはずだ。

一つのサービスでもマーケットは一つではない。一つの商品やサービスでもマーケットは複数、極論を言えば顧客の数だけマーケットはあると言える。

 

だから携帯料金はわかりやすくならない

携帯料金のプランは複雑だ。そして多くのユーザーはこれをストレスに感じている。でもこのエッグマフィンの法則にしたがえば、料金体系がシンプルになることは無いはずだ。

本来はもっと支払って貰える顧客に対して、取りっぱぐれるからだ。

セールスを最大化するために彼らは、なるべく高い単価でなるべく多くの顧客を呼ばなければいけない。

だから携帯電話会社は、定価を高く設定し、手間と時間を惜しまないが安くしたいユーザーには、複雑な割引システムやポイント還元によって低価格なプランを提供する。

でも価格より手間を重視するユーザーには定価でサービスを販売する。これによって、顧客数を維持しつつ、少しでも平均単価を上げようとしているわけだ。

ピザチェーンも同様の考え方で説明できる。

例えば僕の好きなドミノピザも定価かいくらかわからないほど、価格設定が多様にある。ふとジャンクなピザが食べたいと思った顧客には定価でピザを買ってもらう。でも何度もリピートする有料顧客はディスカウントという形式で割り引いた金額でピザを提供する。

 

このようにインターネットが浸透しても価格がフラットになることはないし、情報化が進み、顧客の購買分析が進むほど、「モノの価格」は多様になっていくだろう。

 

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