ぺけじの日記

Keep cool but care

ティム・オブライエン「虚言の国」

2026年のGWは記憶に残るよい読書ができた。ティム・オブライエンの新作長編小説である。まず出会いから小さなドラマを書いておきたい。

 

2026年4月に一時帰国して中目黒で昼食を食べようと思った。関谷パスタに行きたかったのだ。2018年頃か、路面店としてスタートして、いまでは品川のエキナカに入るほどの名店である。たしか日替わりのスペシャル大盛りを注文した。そして食後にふと山手通りをあてもなく歩いていると、中目黒らしく少しおしゃれにしあがったブックオフがある。子供向けの本をおみやげに買うことを思い付き、ハリーポッターが200円で売っていて良いなと思ったとき、隣にティム・オブライエンが並んでいた。後述する理由ですごく欲しかったわけではなかったけど、定価3,300円のハードカバーが2,600円へ安くなっていたので、念のため購入した。

 

そんな具合に、なんとなく買っておいた本であり、ともすれば積読の山から出てこなかったところだが、どこに行く当てもないGWは暇すぎて、積読が枯渇してしまって、やむなく手に取った。ところが、これが出だしから面白く、しかも失速せず最後まで面白さが完走するスゴ本でした。

 

ティム・オブライエンはいまいち手に取る機会がなかった。

1)柴田元幸・村上春樹界隈の作家であり、クセがありそうだ

2)ベトナム戦争がテーマということがあり、政治的な主張が強そうである

 

こんな理由で初めてのティム・オブライエンだったが、1はともかく、心配していた2はそれほどでもなく、流石プロの技量というか、ポリティクスに関係なく楽しめるエンターテイメントでした。

 

正確にいうと政治的な主張は多々あり、まずタイトルとなっている「虚言の国」というのは、現在のフェイクニュースが蔓延するアメリカ社会を指している。陰謀論や右傾化する政治(明確にトランプ政権を批判している)や、とはいえ行き過ぎたリベラル側に立つわけでもなく、まさに「憂いている」というメッセージが様々な箇所に挿入される。

 

ただ、本書がすごいのは、このような政治的な主張を抜きにして、物語として先が読めずに面白いところで、先が気になり、ページをめくる手が止まらず、600ページの分量を3日間で読破してしまった。

 

「これはピンチョンだ!」だと思った。登場人物が入り乱れる書き方や、大事な場面がごくあっさり書かれるところや、プロットに飛躍がないのに先が一切読めないストーリーなど、構成がよく似ている。ティム・オブライエンがピンチョンの覆面作家なのではないか、と思ったぐらい。(その後、ネットを検索したがそのような説を唱える人はほかには見当たらなかった)

 

読了後、もう少しティム・オブライエンを読んでみようという気にさせられ、タイトルで気になっていた「カチアートを追跡して」をアマゾンで注文した。

 

余談だが「FABER CASTELL」(高級文房具ですね)のショップカードが本の間から出てきた。ブックオフに売った人がしおりで使っていたのかな。Seasonal Greetingと書いてる。出版が2025年の本であるから、これは直近の、2025年のクリスマスカードのはずだ。もしかしたら、クリスマスの贈答品でボールペンなんかを貰って、そのときに入っていたGreetingカードをしおりにしていたのかも知れない。なかなか品の良い人が読んでいたのだな、なんて思って嬉しくなった。この本を売った人に、このブログが目に留まればよいのですが。私がしっかり引き継いで、しおりとして使わせていただいています。

 



王谷晶「ババヤガの夜」

 

2025年7月の日経新聞でイギリスのダガー賞なる文学賞を受賞というニュースを読んだ。1955年に創設された歴史ある賞だそうで、英国推理作家協会が主催している。この本は2020年の出版だが、名前はおろか、王谷晶さんなる作家もこのニュースで初めて知った。

 

柚木麻子「Butter」も海外で人気ということで逆輸入として読み、話題どおりに面白かった。これは読まねば。そう思って昨年取り寄せたのだが、実際に本を見てみると、ややラノベのような軽さがある。こうして積読していたものを昨日読んだ。

 

180ページの短い小説で、オビに「ジョン・ウィックのような」「キル・ビルのような」と書かれているとおり、アクション映画をノベライズしたような、わかりやすく図太いプロットという感じ。分量も少なく、文章を読みやすく、1日で読了した。

 

推理作家協会の賞を取るぐらいなので、ミステリーというか、どんでん返しがある。よくあるストーリーなのかな、面白いけど陳腐だな。なんて思いながら読んでいたら、作者の思惑どおりにまんまと騙されて、驚き、すこし読み直し、また2段落ちになっていて、これもまた驚いた。オチ的に映像化はしにくいのではないか。

 

最近は濃厚な海外文学を読んでいるので箸休め的な読書としては良かったが、すこし経ったらストーリーは忘れてしまいそうだし、失礼な言い方だが、日本人初受賞という内容ではないかな、というのが率直な感想。

 

色々なニュース記事を見るに、主人公とバディが女性同士であり、しかもセクシャルではない。線引きのない「クィア」な感じがポイントだそうで、なるほど、このような要素が織り込まれているところに評価があるのかな。よくわからない世界観である。

三浦綾子「氷点」

氷点シリーズ 全4冊合本版 (角川文庫)

1965年に朝日新聞より出版された三浦綾子のベストセラーである。ウィキペディアによれば、「笑点」というタイトルは本作をパロってつけられた、というエピソードがあるそうで、今でいえば、「国宝」のような感じでしょうか。何度も映画化され、最新の映像作品は2006年だそうだ。

すこし前にSNSで新聞の投書欄が流れてきて、このなかで本作の続編である「続氷点」の名台詞が引用されていた。

一生を終えてのちに残るのは、集めたものではなく、与えたものである

40代、子育て、中間管理職。こんな具合に人生を折り返している私には、この言葉がひしひしと重みをもって感じることができる年頃で、これで三浦綾子を読んでみようと思ったわけだ。

文庫本は上下巻で2冊。この記事についているアマゾンの引用リンクは角川文庫だが、私が購入したのは朝日文庫という見かけない文庫シリーズである。後から朝日新聞で連載された小説と知って、これに合点がいった。

主婦だった三浦綾子が懸賞金を目的に初めて応募した小説ということもあり、簡潔明瞭な文章で読みやすい。新聞に連載された小説だからか、昔の小説のわりには、細かく章節の区切りがあるし、展開のテンポもよかった。

書きかけの手紙で決定的な秘密がばれる、といった、ややご都合主義というか、またまた~と感じるシーンもあったが、全体として、すごく面白かった。先が気になりすぎて、上下巻を3日間で読み終えたところが、なによりの証拠である。

一番良いなと思ったところは、人間の矛盾というか感情の複雑さのリアリティである。例えば、夏枝の憎しみや嫉妬、それに加えて愛情という矛盾した感情が入り乱れているところ。いろいろな解説ではキリスト教の原罪に影響を受けたなどと説明されているが、私的にはこれぞ人間。荒木飛呂彦風にいえば人間賛歌。これだなと思った。

オルハン・パムク「私の名は紅」

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

 

この数年は海外小説にはまっており、ヨーロッパや北米のものが多く読んでいる。少しエリアを変えよう。なんなら、次に旅行したいと考えているトルコの小説を読もう。そう思った矢先にタイムラインで本書が面白いと流れてきた。

 

2026年の旧正月あたりに少し読んだのだが、多忙さと、なんとなく盛り上がり切らずに途中で止まってしまう。今月に腰を入れなおして読み直し、中盤以降は話がドライブしてきて、4月16日の本日に読了しました。

 

余談だが、長編小説を読み切るコツは中盤まで読むこと。この世に出ている本はそれなりに面白い=出版社のフィルターがかかっているわけだから、たいてい中盤以降にドライブしてくる構造になっている。

 

藤原書店から出版されている和久井路子さん翻訳のハードカバーを読んだ。619ページ。59章に分かれており、1つ1つの章は短く、また多人称の小説で、1章ごとに話し手が切り替わる構成になっている。

 

舞台は1591年のオスマントルコだそうで、そこで隆盛を極めた細密画家という、トルコの伝統的な絵を描く画家という理解したが、そこで起こった殺人事件や、その裏側にある社会や文化や伝統的な価値観の変化をテーマにしている。

 

世界史を眺めてみると、1600年前後というのは、オスマントルコの隆盛が衰えて、ルネサンスや宗教改革、産業革命を超えたヨーロッパが世界を制し始めるところ。あとがきに書かれていたのは、世界史の授業でやったレパントの海戦が、オスマントルコがキリスト教連合に敗戦した戦争だが、1571年ということだそうで、歴史の転換点ということのようだ。

 

トルコの伝統的な細密画は「目で見たものを描くのではなく、記憶にある絵を描く」ということで、カバーで使われている絵画を見ても、平面的、漫画的なイメージが多く、ヨーロッパの絵画のような写実的なスタイルではない。

 

ましてムスリムは偶像崇拝が禁止されているからか、写実的なアイコンを描くのは禁止されているようなのだが、細密画家のなかには、ヨーロッパの写実的な絵画に影響されるものもおり、これが禁忌に触れるという点で、冒頭の殺人事件につながっていく。

 

ということでストーリーもさることながら、エキゾチックな世界観を体験できた、というのが本書を読んだ感想でしょうか。だかいかんせん、背景知識がなさ過ぎた。例えばスルタンやシャーといった称号や、スルタンの中にも日本でいえば織田信長のような固有名名詞が出ているのだと思うが、これがわからない。昔は世界史をよく勉強して、それなりに自信のある私でさえこの程度だから、日本の世界史教育はヨーロッパや北米が手厚かったんだなあ、なんて思った。

 

オスマン帝国のスルタン、スレイマン1世(1494-1566)の肖像」無名の絵画-ベッリーニ、ジェンティーレによるスルタン、スレイマン1世の壮麗な肖像

 

最後に読了後に検索したのがこの画像。なんの変哲もないポートレイトだが、これが本書のキーになっている。

 

コンラッド「ロード・ジム」

コンラッドに興味を持ったのはやや恥ずかしい理由で、大学生のときに汐留にあるコンラッド東京にあるチャイナ・ブルーというレストランを訪問したことがきっかけである。都会の高級ホテルはロビーから洗練されており、憧れ、「コンラッド」という名前は歴史的な作家から取ったのかな。そうであれば、知的なネーミングでカッコよい、そう思った。

 

その後、ホテルである「コンラッド」はヒルトンホテル創業者であって作家であるジョセフ・コンラッドとはなんら関係がないことがわかったが、この記憶は1つの格式あるブランドとして脳裏に焼き付いていて、昨年ついに「闇の奥」を手にとった。次いで読むことにしたのが「ロード・ジム」である。

 

今回読んだのは柴田元幸が翻訳した池澤夏樹の世界文学集シリーズのもの。パープルの表紙がかっこいい。柴田による注釈や、地図による解説までついており、このサポートがなかったら読了できなかっただろう。厳しい読書だった。

 

冒頭にコンラッドのコメントがついている。元々は短編として書いた小説を長くしたから失敗したという評論が一般的だがそうではない、云々。読んでいて、この「一般的な評論」なるものが正しく、全体的に冗長であり、もう少し手を入れて短くすればキリっとした小説になったのではないか、なんて思った。うまく感想がかけないので、いくつか感じたポイントをまとめておく。

 

1つめ、なぜ本作が名作といわれるのかということ。例えば、いま同じ作品をnoteに公開したとして、話題になるだろうか。本作に限らず、いま評価されている歴史的な名作の多くが、読まれないだろう。世に出るコンテンツの数が異なっており、創作できるチャンスがあれば、それなりに評価される時代だったのかも知れない。

 

2つめ、普遍的な太いテーマ。本作はジムが過去の失敗を乗り越えて、名誉を回復し、理想の自分として死んでいくというストーリーであるが、ありたい自分と現実の自分のギャップはほぼすべての人間が抱える悩みであると思うし、解説の言葉を借りれば「ほとんど誰もが、一度は何らかのパトナ号から飛び降りてしまった」ことがあるわけだから、1つの物語の背骨になりうる大きく太いテーマの重要性を学んだ。

 

3つめ、作品を楽しめる環境や時期があること。日本で「ロード・ジム」を読んでいたら、読み切れなかったと思う。環境が異なりすぎて、感情移入がしにくい。今私が楽しく読めたのは、アセアンに住んでいるからで、大航海時代の東南アジアの各所を訪問ししており、それゆえ、リアリティをもてた。

 

大航海時代ファンとしては、物語の中盤から登場する架空の街であるパタヴィアを訪問したいところ。ボルネオ島に同じ地名であるそうで、ネットで探した書評によると、ボルネオやスマトラなど候補地がいくつかあるようだ。柴田解説によると、スマトラ島の中腹に設定されている、ということだ。