Trace of 『Trace of Red Curb』

音楽と記憶は脳の同じ分野に保存されている、と読んだことがある。だから、音楽を聴くと、その当時を思い出すそうだ。みんな経験があると思う。

この週末、昼間にスコールがあって、外に出れなくなった。仕方がなくApple Musicをランダムで再生しながらゴロゴロしてところ、ふいに聴いたことのある美しいエレクトロニカが流れ、固まってしまった。

曲名は思い出せなかった。けれど、それより先に、夜明けの海岸線を辻堂の海へ向かって走ったな、というような些細だけれど、手触り感のある光景が浮かんでくる。レイハラカミの曲だった。

レイハラカミはエモいエレクトロニカが売りのミュージシャン、だった。特に『Trace of Red Curb』は「CDが擦り切れる」ほど良く聴いた。まあ、これまで忘れていたわけだけど、改めて聴いて、今でも実にいいと思った。

「Red Curb」とはレイハラカミの2作目のアルバムタイトルだ。つまり『Trace of Red Curb』とは「レッドカーブの思い出」ということで、昔のアルバムを自分でリミックスした、という意味のネーミングである。

リリースは2001年の秋だったらしい。だから、2020年の夏、ぼくの頭にフラッシュバックした光景も、恐らくその頃の記憶なのだろう。才能ある多くのアーティストと同じように、レイハラカミも2011年に早逝してしまい、新曲を聞くことはできない。

村上春樹の『一人称単数』を読んで

村上春樹の新刊『一人称単数』を読んだ。小説でいえば、前作は『騎士団長殺し』の2017年。約3年振りの新刊らしい。もっとも、奥付を見ると、各短編作品は『文学界』で2018年頃から発表されていたようだ。雑誌で新作が発表されていたとは知らなかった。

収録されている短編は8つ。7つが『文学界』で発表された作品である。最後の『一人称単数』が書き下ろし作品となり、これが表題作となっている。

率直な感想として、キャリア初期の作品を読んでいる気がした。ここ数十年の「総合小説」と自身が呼ぶ、複雑で深みのある物語ではなく、軽いタッチの作品が多かった。

『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』や『ヤクルト・スワローズ詩集』は、初期の短編集に入っていそうで、どこか懐かしさがある。『謝肉祭(Carnaval)』や『品川猿の告白』も、なんだろう、『パン屋再襲撃』みたいだな、と思った。こっそり隠しておいた昔の作品を書き直しました。そんな印象を受けた。

そして、最後の『一人称単数』は、タイトルが大きなメッセージなんだろう。村上春樹といえば、主人公は「僕」であり、日本で最も有名な一人称小説の作家である。ご本人もよくよく意識されている。

前作『騎士団長殺し』は自身の好きなギャッツビーを村上風にアレンジしたのだと思った。対して、この『一人称単数』は、初期作品の総決算をしたように受け止められる。なんだか、作家人生の総括をしているようだな。読み終えて、そう感じた。

『のようなもの』と『のようなもの のようなもの』

60歳で早逝された森田芳光監督のデビュー作『のようなもの』を見た。

タイトルが変わっている。落語の「居酒屋」から取ったそうだ。客と小僧が掛け合う小噺だが、小僧が言う「あんこうのようなもの」から引いている。タイトルどおり、これは落語の映画である。

森田監督は料亭で生まれ育ち、幼いころから水商売を裏側から見てきたそうだ。だからか、落語といっても高座のシーンは少ないし、ヒロインである秋吉久美子の役柄はソープ嬢であって、楽屋から見た雰囲気になっている。

主人公の志ん魚は冴えない落語家で、人生の岐路にある。この志ん魚がガールフレンドの家から「道中づけ」を実際に歩いて帰っていくところが、一番の山場だ。良いシーンだが、随分と地味でしょう。この映画は、ロードムービーのようなもの、だと思った。

本作には続編がある。これが『のようなもの のようなもの』で、森田監督が逝去した後に、「森田組」で撮ったそうだ。オリジナルに負けず劣らず良い映画だったが、こちらは構成がしっかりしており、そこが違った印象になっている。

俳優のでんでんは『のようなもの』でデビューしたが、続編の『のようなもの のようなもの』ではぐっと貫禄が出ていた。「これは間違いない、黄金餅じゃねえか」と兄弟子の尾藤イサオにささやくシーン。短いけれど、雰囲気があった。

音楽もいい。兄弟子を演じた尾藤イサオがテーマ曲を歌っている。「彼女はムービング・オン」、それから「シー・ユー・アゲイン雰囲気」という2曲。タイトルもイケてるが、曲自もまさにシティポップだ。余韻に浸りたくて、YouTubeでリピートしてしまった。

『ジャイアンツ』

ジャイアンツ』を見た。1956年の作品でナショナルフィルムレジストリーにも登記されている名作だ。年輩の映画好きにはファンが多いようで、いまでも名前を聞く。一度見たいと思っていた。

テキサスで牧場主をしているベネディクト家の一世代を描いたもので、そこに原油による生活の変化、移民、人種差別、子育ての難しさ、家族愛、といったテーマが横軸で織り込まれる。これぞ人生!という映画だった。

だから、とにかく長い。200分、3時間超!編集も古いのでテンポが遅い。エリザベス・テイラーがセクシーで、もちろんストーリーも面白いが、へとへとに疲れた。

この映画が有名な理由はいくつかある。一つはジェームズ・ディーンの遺作となったこと。撮影が終わった後に帰らぬ人となった。いま発売されているDVDはジャケットに採用されている。主演でもないのですが。

次に原油というテーマ。テキサスの痩せた土地から原油が発掘され、昔ながらの生活が変わっていくというストーリーは、アメリカ人にとって哀愁があるテーマのようだ。この映画に憧れて商社に入った、という話を日本でも聞く。「原油」という世界があるんだ。そう思って、同じ原油つながりの『ゼアウィルビーブラッド』を次に見てしまった。

余談だが、REATAというアメリカンな洋服屋のホームページを見つけた。レアータというのはベネディクト家がテキサスで代々経営している牧場の名前だ。このオーナーも『ジャイアンツ』で人生を見つけた1人だね、と思った。

『アイズワイドシャット』はスコセッシのようだった

スタンリー・キューブリックの『アイズワイドシャット』を見た。公開は1999年でキューブリックの遺作でもある。過激な内容だから日本では18禁。

当時は年齢的に見れなかった。世間の評判も、おっぱいがたくさん映る割には、それほど高くない。むしろ低い。監督自身が駄作と認めた。そんな話もウィキペディアには載っている。そんなわけで放置していたが、キューブリック作品をコンプリートするために、なかば義務的に見た。

さて、これが案外悪くなかった。というより、結構イケてるじゃんと思った。スコセッシやウッディ・アレンの映画に似ている感じが良い。

1)舞台がニューヨークである

2)皮肉の効いたストーリー

3)夢と現実があいまいな演出

とても似ている。トム・クルーズがあてもなくNYを歩くシーン。偶然に繋がっていくストーリーの展開。途中から、まるで『アフターアワーズ』だな。そう思いながら見た。

セクシーシーンの過激さも、時代や個人の感覚によると思うが、そうでもなかった。キューブリックなので、客観的というかクールなカメラショットでエロさが少ないのだろうか。妻であるニコール・キッドマンの「寝取られ」的な話から物語が展開していくのだが、いまやインターネットで生々しいものがたくさんある。