ボルネオ島の文化と魅力

年初はボルネオ島へ旅行した。世界で三番目に大きい島、インドネシアが首都移転を計画している、というボルネオ島である。ボルネオは3か国に分かれており、北はマレーシア、南がインドネシア。マレーシアのサバ州とサラワク州の間に、小さくブルネイという国がある。これで3か国になっている。ネットで調べるに、ボルネオという名前は「ブルネイ」がなまって変化したようだ。このため、現在はカリマンタンという、現地由来の名前が正しいとされ、日本でもカリマンタンと表記するケースが増えている、らしい。今回は北側にあたるマレーシアのサバ州に行ったのだが、そこで現地ではカリマンタン島と呼ぶのかマレー人と思われるタクシードライバーに聞いたところ、「ここはボルネオだ」と断言したことが印象的だった。彼の個人的な意見かも知れないが。

ボルネオは総じて未開の地で、島一番栄えているコタキナバルでさえ、日本の地方都市以下の発展ぶりであり、手つかずのジャングルも多く残されている。北東ボルネオにはサンダカンやウタワという街があり、この近くではオラウータンやヒョウ、さらにはゾウも見れるという。現地では「保護区」と呼んでいたけど、いやいや未開なだけでしょう、という印象だった。この北東ボルネオは、フィリピン南部の諸島群、例えばセブなどが有名だが、に隣接しており、領土問題もあるようだ。2013年にはフィリピンの一部集団がボルネオに侵攻する、という紛争があったようで、現在も外務省による渡航注意区域に入っている。あたりには諸島がたくさんあり、中には海賊がいて人さらいもするそうだ。ゆったり間の抜けたような温暖な気候で、時折激しいスコールもあって、ヘミングウェイの「海流のなかの島々(Islands in the stream)」を思い出し、こちらはキューバ諸島の物語であるが、ノリは一緒だなと思い帰宅して読み始めた。

世界で3番目とはいえ、島であるボルネオが3つの国分かれている理由はヨーロッパによる植民地支配の名残であって、要するにオランダ領インドシナがインドネシアとして独立し、イギリス領マラヤがマレーシア連邦となった、そして天然資源が豊富だったエリアがイギリスによってブルネイとして切り離された、ということである。このように、東南アジアは大航海時代から始まるヨーロッパの影響が直接現代に残っていて、世界史好きとしては旅行すると、いささか現地には不謹慎な話だが、非常に面白く、日本が世界有数の経済大国に発展したことを一つの「奇跡」として体感できる。

もう1つ、東南アジアで歴史を感じるところは、国民性の差である。ベトナム・カンボジア・ラオスなど、北部のエリアに比べて、マレーシアやインドネシアの方が、文化的というか、民度が高い印象を受ける。言葉を選ばずにいえば、マナーがある。飛行機の機内が静かだったり、ゴミのポイ捨てが少ない。理由はわからない。マレー半島は早くから香辛料貿易で都市が発展したので、マラッカなどが有名だが、文化や教育が進んだのかも知れない。いや、単にイスラム教と仏教の、宗教の差なのかも知れない。マレーシアやインドネシアはイスラム教徒がマジョリティである。

東南アジアは面白い。次はどこに行こうかな、ペナンとマラッカで大航海時代に思いを馳せるのが良いかな。