最後の学び ヤマゲンの教訓

年明け早々に大きなニュースが続いたが、そのなかで小さくない1つに、経済評論家の山崎元さんと大江英樹さんという2人が元旦に亡くなったことがある。2人とも著作を読んだことは無かったが、日経などの経済誌でよくコラムを読んでいたし、とくにヤマゲン氏は、金融機関への忖度が一切ない、徹底的に合理的な資産運用方針を説くことに共感するところが多かった。大江さんはコラムに読んだなという印象ぐらいだが、「定年後のカネ」というテーマで世に出た宣教師のはしりで、なるほど、時代に応じて界隈にエヴァンジェリストが出てくるなと感じたものだった。

フィナンシャルリテラシーは本当の意味で「誰も教えてくれない」ので、自分の責任において重要さに気が付くしかない。結局最後は自分しかいないんだな、と自覚してからスタートというところがあって、これは最後の最後は人任せにできないという意味で管理職の矜持にも似ていると思っているのだが、自分以外では親や家族ぐらいのもので、社会に出てから近づいてくる人はすべからく大なり小なりのポジショントークである。このなかでヤマゲンさんの業界に忖度しないピュアな意見は貴重だったと思うし、著作によって救われた人も多いのではないか。私は勝間和代さんの「お金は銀行に預けるな」で開眼したのだが、忖度ない意見がきっかけで自分で考えるようになったという意味で、よく似ている。ヤマゲンさんは経済評論家という職業を多少シニカルに見ていたようだけど、社会的に価値があると私は思う。

ヤマゲン節の真骨頂は、時系列的に癌が発覚してから書き始めたであろうnoteである。癌になった経緯について、癌検査をしない方が合理的であるという医者の説を信じて、50代以降は検査をしてこなかった、と率直に書いている。余命が宣告された状態で書けるものではない。最後まで合理的であろうとするヤマゲン節を強く感じ、また合理的な人は合理的な理由によって説得されやすく、私も似たようなところがあるから、気を付けようとも思ったし、こんなに論理的な人も、失礼ながら、こんな簡単な判断を誤るのか、という驚きもあった。なにより、人間ドック、基本的な内視鏡検査は欠かさずやろうと心に決めた。ヤマゲンも大江さんも、資産運用を説きつつも、2人とも大往生とは言えない年齢で世を去ることになり、「なんのためのカネか」という哲学的な問いも残したと感じる。最後の最後まで学びがあった。合掌。