ペナン島:ミックスカルチャーの魅力

東インド会社に昔から関心があって、ついに念願のジョージタウンを訪問した。マレーシアのペナン島である。マラッカ海峡の入口にあり、イギリス・オランダなどの香辛料貿易における拠点として、19世紀に発展した。

ペナンの魅力はなんといってもミックスカルチャーである。中国、マレー、それに西欧の文化が混ざりあい、いわば香港やシンガポールの元祖であって、これぞ東アジア版グローバル。プラナカン文化である。

プラナカンとはマレー語で現地で生まれた移民の子孫を指すらしいが、昔から来た華僑がマレー半島に住み着き、けれど中華圏の文化を捨てず、マレー文化と中国文化が融合した独自の文化が生まれた。そこに西欧の建築様式も混ざっている。

街中を歩くと、どのタウンハウスにも家の前に2メートルほどのテラスというか小路が付いている。Five Foot Wayと呼ばれるこの建築様式は、トーマス・ラッフルズが、ラッフルズホテルのラッフルズである、植民地時代に指示した都市計画だそうで、今でも旧市街に残っている。現地の本屋で買った『Malaysia at random』にはこんな記載があった。

 

ORIGINS OF THE "FIVE FOOT WAY"

 

All houses constructed of brick or tiles have a common type of front each having an archade of a certain depth, opne to all sides as a continuous and open passage on each side of the street.

 

Sir Stamford Raffle's instruction to the Town Planning Committee of Singapore, 1822

 

トーマス・ラッフルズといえばシンガポールのラッフルズホテルだが、ペナンにもラッフルズに由来するホテルがあり、こちらはイースタン・オリエンタル・ホテル。開業はシンガポールのそれより2年早く、1885年とのこと。ここからもペナンが先輩にあたることがわかる。

一番良かったのがブルーマンション。東洋のロックフェラーと呼ばれた華僑の旧宅を改装したものだが、現在のオーナーは西欧系なのか、運営やデザインが上手で、品があった。対して、有名なプラナカンマンションは、京都の清水寺のように節操がないというか、文化財であるのに商業に寄り過ぎており、品がない。

ペナン、香港、シンガポール、など文化が混ざった街が好きだ。民族が混じった場所は、節操なくいえば、お金がすべてである。資本のダイナミズムから生まれる、古い歴史の積み上げにはない、新しい文化やヒエラルキーがある。日本に戻ったら郊外で仕上がってみようかなと思っていたが、やはり都市で生きねばなと考えを改めた。

10周年

ふとブログのコンソール画面を開いたところ、当ブログを開設してから10年間が経過していた。2013年に登録した、とあって、11年前になる。一生懸命に書いた時期があり、放置した時期もあり、ここ最近はなにか思いついたとき、「書ける」バイブスが来ているときに、自己満足のために書いている。

かの村上春樹が自身のエッセイで、書けるときも書けないときも、机の前に座ることが大事であるとか、小説を書くことは肉体労働で体力勝負、と書いていた。少し気持ちがわかる。気分のノリで続けるものではなく、習慣を大切にして継続する、ということだろう。

ブログは書けなかったけど、10年の生活を振り返ると、習慣を大切にしてコツコツと前進したな、という10年間だった。おおむね順調、順風満帆で、他人が聞いても面白くない、しかし本人としては、納得のいく10年だった。なかでも一番満足しているものと言えば、いまどきポリコレに反しそうだが、子育てである。

これも何かで読んで関心したことだが、人生を食事づくりに例えている人がいた。曰く、ご飯を炊いているときに、並行しておかずを作らなければいけない。ご飯が炊けたあとに、おかずを作っていたら、ご飯は冷めてしまうから。

簡単にいえば人生はマルチタスクだよ、ということだが、重要なことは、人の一生は有限であって、案外短く、なにより時間を戻すことはできない。そして、結局のところ、経験や体感は本当の意味で「やってみないとわからない」ということである。

子供が生まれる前に、子供を欲しいと思ったことは、微塵も無かった。絶対にいらないとすら思っており、子育てでお金や時間に汲々している人を見て、みすぼらしさを感じていた。逆にいまでは、そう感じていたことが恐ろしい。子供のいる生活のすばらしさに、気が付くことが出来て良かった。体験できなかった世界線があったのかな、そう想像するだけでぞっとする。人の一生は自分のために生きるには長すぎる。ゴーイングコンサーンの意味を学んだ10年だった。

勝間和代「お金は銀行に預けるな」

最近は活躍を見かけないが、勝間和代さんという慶応在学中からアーサーアンダーセンで働き、しかも学生結婚してワーキングマザーでもあり、さらにその後のマッキンゼー在職中は「給湯室でネギを切っていた」という生きる伝説の1人が書いた金融指南書である。

出版が2007年だそうで、恐らく勝間さんが評論家として世に出始めた初期の作品だろう、この後、多くのヒット作を出版して時の人となった。本書はタイトルどおり「お金は銀行に預けないで投資しろ」という本で、先日亡くなったヤマゲンよろしく、資産は四分割して、国内と海外株式、国内と海外債権、これを25%づつ買え。アクティブに手を出さずにノーロードのインデックス投信を買え。銀行のドル箱は住宅ローンだから、頭金なんかに現金を使わずに、その分を投資して賃貸に住め。というのが本書の主張である。

この本を読んで実践したことは「お金は銀行に預けない」ことだけであり、結局、株は効率が悪いとされる個別株をやっている。債権ETFは買ってみたものの、あまり価値を感じずに随分前にポートフォリオから消去した。海外株は米国株の現物に行きつくまでに、ETFをいくつか買って、パッとしない運用に終始した。なかでも一番宗派が異なるのは住宅ローンに対する考え方で、この10数年を賃貸オンリーで行っていたら、取り返しのつかない機会損失を被っているところだっただろう。インデックス積立だけで昨今のマンション高騰には追いつけていないはずだ。結果を振り返ってみれば、資産形成としては大間違いだった、と言って差し支えない。

今読めば本書のそれぞれの主張に「これは違う」という意見がある。株はインデックス以上の利益を目指さないでどうするの、と思うし、資産四分割は本当に逆相関になっているのか、むしろ現代では相関度合いが高まっているのでは。さらに住宅ローンに至っては、こんな低利かつ減税までついたローンが組め、さらには安定度の高いマンションがあるなかで、使わない理由がない。なにより、世のインデックス論者は、マクロを世界を語りすぎて、自分の人生はN=1だと考えないのだろうか。サイコロで1が出る確率は1/6だが、私が次に振るサイコロの目は、誰にもわからない。

しかし、自由が丘のブックファーストで本書を手に取ったときは、自分の意見が持てるほどのリテラシーが私にはなかった。この本をきっかけに色々な金融商品を自分で購入し、原資を捻出するために家計をよく管理し、給与を増やす努力もしたし、なにより「身銭を切って」学んだリテラシーによって、反論できるほどの知識や考えが身に着いたと言える。本書の内容そのものというより、きっかけを与えてくれた本というか、やる気スイッチを押してくれた本であり、モトは取って余りあるものだった。

 

お金は銀行に預けるな~金融リテラシーの基本と実践~ (光文社新書)

 

最後の学び ヤマゲンの教訓

年明け早々に大きなニュースが続いたが、そのなかで小さくない1つに、経済評論家の山崎元さんと大江英樹さんという2人が元旦に亡くなったことがある。2人とも著作を読んだことは無かったが、日経などの経済誌でよくコラムを読んでいたし、とくにヤマゲン氏は、金融機関への忖度が一切ない、徹底的に合理的な資産運用方針を説くことに共感するところが多かった。大江さんはコラムに読んだなという印象ぐらいだが、「定年後のカネ」というテーマで世に出た宣教師のはしりで、なるほど、時代に応じて界隈にエヴァンジェリストが出てくるなと感じたものだった。

フィナンシャルリテラシーは本当の意味で「誰も教えてくれない」ので、自分の責任において重要さに気が付くしかない。結局最後は自分しかいないんだな、と自覚してからスタートというところがあって、これは最後の最後は人任せにできないという意味で管理職の矜持にも似ていると思っているのだが、自分以外では親や家族ぐらいのもので、社会に出てから近づいてくる人はすべからく大なり小なりのポジショントークである。このなかでヤマゲンさんの業界に忖度しないピュアな意見は貴重だったと思うし、著作によって救われた人も多いのではないか。私は勝間和代さんの「お金は銀行に預けるな」で開眼したのだが、忖度ない意見がきっかけで自分で考えるようになったという意味で、よく似ている。ヤマゲンさんは経済評論家という職業を多少シニカルに見ていたようだけど、社会的に価値があると私は思う。

ヤマゲン節の真骨頂は、時系列的に癌が発覚してから書き始めたであろうnoteである。癌になった経緯について、癌検査をしない方が合理的であるという医者の説を信じて、50代以降は検査をしてこなかった、と率直に書いている。余命が宣告された状態で書けるものではない。最後まで合理的であろうとするヤマゲン節を強く感じ、また合理的な人は合理的な理由によって説得されやすく、私も似たようなところがあるから、気を付けようとも思ったし、こんなに論理的な人も、失礼ながら、こんな簡単な判断を誤るのか、という驚きもあった。なにより、人間ドック、基本的な内視鏡検査は欠かさずやろうと心に決めた。ヤマゲンも大江さんも、資産運用を説きつつも、2人とも大往生とは言えない年齢で世を去ることになり、「なんのためのカネか」という哲学的な問いも残したと感じる。最後の最後まで学びがあった。合掌。

ボルネオ島の文化と魅力

年初はボルネオ島へ旅行した。世界で三番目に大きい島、インドネシアが首都移転を計画している、というボルネオ島である。ボルネオは3か国に分かれており、北はマレーシア、南がインドネシア。マレーシアのサバ州とサラワク州の間に、小さくブルネイという国がある。これで3か国になっている。ネットで調べるに、ボルネオという名前は「ブルネイ」がなまって変化したようだ。このため、現在はカリマンタンという、現地由来の名前が正しいとされ、日本でもカリマンタンと表記するケースが増えている、らしい。今回は北側にあたるマレーシアのサバ州に行ったのだが、そこで現地ではカリマンタン島と呼ぶのかマレー人と思われるタクシードライバーに聞いたところ、「ここはボルネオだ」と断言したことが印象的だった。彼の個人的な意見かも知れないが。

ボルネオは総じて未開の地で、島一番栄えているコタキナバルでさえ、日本の地方都市以下の発展ぶりであり、手つかずのジャングルも多く残されている。北東ボルネオにはサンダカンやウタワという街があり、この近くではオラウータンやヒョウ、さらにはゾウも見れるという。現地では「保護区」と呼んでいたけど、いやいや未開なだけでしょう、という印象だった。この北東ボルネオは、フィリピン南部の諸島群、例えばセブなどが有名だが、に隣接しており、領土問題もあるようだ。2013年にはフィリピンの一部集団がボルネオに侵攻する、という紛争があったようで、現在も外務省による渡航注意区域に入っている。あたりには諸島がたくさんあり、中には海賊がいて人さらいもするそうだ。ゆったり間の抜けたような温暖な気候で、時折激しいスコールもあって、ヘミングウェイの「海流のなかの島々(Islands in the stream)」を思い出し、こちらはキューバ諸島の物語であるが、ノリは一緒だなと思い帰宅して読み始めた。

世界で3番目とはいえ、島であるボルネオが3つの国分かれている理由はヨーロッパによる植民地支配の名残であって、要するにオランダ領インドシナがインドネシアとして独立し、イギリス領マラヤがマレーシア連邦となった、そして天然資源が豊富だったエリアがイギリスによってブルネイとして切り離された、ということである。このように、東南アジアは大航海時代から始まるヨーロッパの影響が直接現代に残っていて、世界史好きとしては旅行すると、いささか現地には不謹慎な話だが、非常に面白く、日本が世界有数の経済大国に発展したことを一つの「奇跡」として体感できる。

もう1つ、東南アジアで歴史を感じるところは、国民性の差である。ベトナム・カンボジア・ラオスなど、北部のエリアに比べて、マレーシアやインドネシアの方が、文化的というか、民度が高い印象を受ける。言葉を選ばずにいえば、マナーがある。飛行機の機内が静かだったり、ゴミのポイ捨てが少ない。理由はわからない。マレー半島は早くから香辛料貿易で都市が発展したので、マラッカなどが有名だが、文化や教育が進んだのかも知れない。いや、単にイスラム教と仏教の、宗教の差なのかも知れない。マレーシアやインドネシアはイスラム教徒がマジョリティである。

東南アジアは面白い。次はどこに行こうかな、ペナンとマラッカで大航海時代に思いを馳せるのが良いかな。