10周年

ふとブログのコンソール画面を開いたところ、当ブログを開設してから10年間が経過していた。2013年に登録した、とあって、11年前になる。一生懸命に書いた時期があり、放置した時期もあり、ここ最近はなにか思いついたとき、「書ける」バイブスが来ているときに、自己満足のために書いている。

かの村上春樹が自身のエッセイで、書けるときも書けないときも、机の前に座ることが大事であるとか、小説を書くことは肉体労働で体力勝負、と書いていた。少し気持ちがわかる。気分のノリで続けるものではなく、習慣を大切にして継続する、ということだろう。

ブログは書けなかったけど、10年の生活を振り返ると、習慣を大切にしてコツコツと前進したな、という10年間だった。おおむね順調、順風満帆で、他人が聞いても面白くない、しかし本人としては、納得のいく10年だった。なかでも一番満足しているものと言えば、いまどきポリコレに反しそうだが、子育てである。

これも何かで読んで関心したことだが、人生を食事づくりに例えている人がいた。曰く、ご飯を炊いているときに、並行しておかずを作らなければいけない。ご飯が炊けたあとに、おかずを作っていたら、ご飯は冷めてしまうから。

簡単にいえば人生はマルチタスクだよ、ということだが、重要なことは、人の一生は有限であって、案外短く、なにより時間を戻すことはできない。そして、結局のところ、経験や体感は本当の意味で「やってみないとわからない」ということである。

子供が生まれる前に、子供を欲しいと思ったことは、微塵も無かった。絶対にいらないとすら思っており、子育てでお金や時間に汲々している人を見て、みすぼらしさを感じていた。逆にいまでは、そう感じていたことが恐ろしい。子供のいる生活のすばらしさに、気が付くことが出来て良かった。体験できなかった世界線があったのかな、そう想像するだけでぞっとする。人の一生は自分のために生きるには長すぎる。ゴーイングコンサーンの意味を学んだ10年だった。