No One Else / Kikuo Johnson

よく行くカフェにペーパーバックスが置いてあるコーナーがある。カフェを間借りして、洋書を委託販売する小商のようなんだけど、儲からなそうだな、と思いつつ、品ぞろえにセンスがあるので、よく眺めていた。少し前に、この『No One Else』を見つけて、表紙が良いので目に留まった。作者を見るとキクオ・ジョンソンと書いてあり、ああ、エイドリアン・トミネみたいな日系のイラストレーターなんだな、と想像がついた。後でネットで調べようと思って、店を出たのだけど、これが四十の悲しさで名前がどうしても出てこない。

しばらく日が経っても記憶に残っていて、これもご縁だなと買うことにした。以前の店では売り切れになっていて、と言っても1冊の在庫なわけだけど、名前を思い出せないからネットで検索できず、足を使ってほかのカフェをめぐり、手に入れた。約2,500円。現地で買えば$16か、為替差を考えて、いまの日本ならば同じぐらいだね。

キクオ・ジョンソン氏はニューヨーカーの表紙も書いているイラストレーターだった。どおりで見たことがあるタッチだな。まさにエイドリアン・トミネと同じキャリアで、都会的なアートワークがとても好み。

このコミックは、『No One Else』というタイトルどおり「ほかに誰もいない」環境で、介護や子育てや仕事に翻弄されるシングルマザーが直面する人生の節目を描いたもので、あだち充以上にセリフがなく情報量の詰まったコマがたくさんあり、それが余韻に繋がって良かった。聞くに、このような大人向けの漫画を、英語でGraphic Nobelと言って、Comic booksとは違うカテゴリらしい。日本ならば一括りで漫画ですね。普段、英語は言葉の意味が広いなと感じるけど、これは的確な表現だと思う。これは確かに小説だ。

まんだら屋の良太

DMMコミックで漫画を買うようになり、次第に「蔵書」が増え、DMMが潰れたら終わりという具合になっている。なかでも面白かったのが「まんだら屋の良太」という昭和のコミックで、何度読んでも面白く、すでに3周は読んでいる。これは名作。

有名な漫画ではないはず、というよりDMMの無料試し読みで初めて存在を知って、続巻を購入したのだが、コミック数冊を1冊にまとめた合本として売られている。聞いたことが無い出版社が発行していて、昔のコミックの版権を購入したと想像される。なるほど、良いアイデアだなと。紙の書籍と違って製造コストが少ないから、マイナーな版権を買ってきて、電子書籍で流通すれば、ニッチに売れるかも知れない。「ロングテール」なビジネスモデル。これは上手だなと思った。

「まんだら屋の良太」は九鬼谷という九州にある架空の温泉を舞台にしたオムニバス漫画で、性におおらかで、人情と笑いと哀愁に溢れた人間ドラマになっている。書いてもよくわからないですね、とにかく面白いのでお勧めです。おおらかな雰囲気が東南アジアと重なるところがあって、繰り返し読んでしまう。

シンガポール旅行

先月、初めてシンガポールに旅行した。なんとなく、アセアンの王者のような雰囲気があって、食わず嫌いしていたが、満を持して突撃。すごく勉強になって、これまでの食わず嫌いを恥じました。

何に感銘を受けたか。発展と歴史である。シンガポールの国土は東京23区と同じくらいとされ、都市国家であり、つまり資源がない。例えば飲料水はマレーシアからパイプラインを通じて購入している。国土は年10%平均で「増えて」いる。他国に侵略はしてないので、埋立て地で増えているという、ということ。

これを支えているのが華僑の合理性であり、わずか6百万人の国民のうち、華僑が75%だそうだ。この民族問題のせいで、マレーシア連邦から「追放」され、その後にリークアンユーとシンガポールの現在にいたる全盛期を迎えるわけだが、これは結果論であって、都市国家として生きて行かざるを得なかった、合理的にならざるを得なかった、金融立国の道しかなかった、なにせ資源も軍事力もない、独立当時のリークアンユーの内心を想像して、胸が熱くなった。

シンガポール国立博物館には歴史展が展示されているのだが、最大の見せ場はマレーシア連邦からの追放であり、リークアンユーの記者会見シーンである。記者の質問に思わず涙する有名なシーンを見て、大河ドラマのような、歴史ロマンを感じました。

帰国後にリークアンユー回顧録を買おうと思って検索したところ、51,161円。ここはシンガポールかよ。再販せえ…。

 

 

 

 

モノよりカラダ

コスパが良かったとお金の使い方として、まずは歯列矯正。27歳、当時はこんな大人になってからやるの?と思ったけど、すぐにモトが取れたなと思った。70万かかったが、体感利回りは100%を超えてる。以前は歯を見せることにコンプレックスがあった。同じことを感じている人も多いはず。歯を見せる機会、そのときに感じる少し嫌な気持ち、一日に何度あるか数えてみれば、効果がわかる。

次に脱毛。最初はヒゲをやったが、あまりに良すぎて、全身脱毛に移行した。すべて合わせて50万円以上だが、これも満足している。ヒゲ剃りが嫌だという理由で始めたが、それ以上に、毛穴が開かなくなることで肌がツルツルになり、見た目が若返った。女の子の評判もいい。オヤジは清潔感がすべて。モテない人はとにかく脱毛すれば、なんとかなる。

人間ドックもそうで、自分のパーツがどのような状態にあるか、どこにウィークポイントがあるか、把握しておくだけで安心できる、というメリットがある。頭部MRIは今年撮ったし、ピロリもないし、大腸内視鏡も確認済み。眼は緑内障だけど早期発見で目薬打ってるし、ビタミンB(ナイアシン)も飲んでる。この2,3年だと、すい臓ドックぐらいかな。こんな感じで、把握しておくだけで安心する。

その他にも、筋トレもありそうだよね。マッチョに憧れがあるけど、怠惰な性格だから自発的にジムに通えない。さっさとマネジメントを外注すべきで、パーソナルトレーナーを雇ったり、トータルワークアウトに行くべき、なんだろう。頭では理解しているのけど、こちらは出来ていない。今後の宿題。

自分の身体は毎日使うんだから、最優先で支出すべき。モノより身体にお金を使うべき。

 

美を拡張する

先日のBSプレミアでやっていたHumanienceという番組がすごく面白くて、見ながらたくさんメモを取った。

 

〇 美を拡張したものが歴史に残る。例えばウォーホルのポップアート。キャンベルスープの缶が美しいことに気がつかなかった。サイエンスのおかげで世界の見える範囲が広がってきた。アートは世界の「見え方」を変えてきた。「美しい」という価値基準を広げる人がアーティストであり、これを出来た人が歴史に残る。

〇 人は管理されることを嫌う。管理されることに反逆する。この反逆の表現の一つがアート。

〇 人の行動の根源は美意識ではないか。合理性だけではないはず。例えば職業選択において経済合理性だけで決めるだろうか、そうではない。自身の美意識で判断している。

〇 アートを見ると脳の部位が反応する。麻薬やアルコールなどの身体的に依存度があるものは線条体という箇所が反応する。しかし、アートで線条体は反応しない。依存性はない。

〇 アート作品を海に浮かぶ氷山に例えている。目に見えているところは一部であり、海に沈んでいるところがある。文化、社会、歴史。文脈、コンテキスト。バンクシーのシュレッダーされた作品、シュレッダーされたところまでが作品。杉本博の写真、「時間」というコンセプトを含めて完成する。モナリザは盗難、パロディ、モデルの謎、色々な積上げがあって、世界一の名画として評価されるに至った。

〇 現代アートでは無題というタイトルが多い。機能的なタイトルを付けず、審美的なタイトルを付ける傾向にある。

 

 

人は管理されることを嫌う、というのが良くて、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」はだからこそ人々の自由を尊重する政治体制に行きつくはず、これが民主主義という主張だった。