和田誠が死んだ

私の父親は編集者だった。良く遊びにくる叔父がいて、1人はCFプロデューサーで、もう1人は建築家。そんなド文化系の彼らはよく食卓を囲みながら文芸の話をした。

食卓の話題は音楽から小説まで多岐に渡ったのだが、中でも映画が一番多かった。食べながら見ることもよくあって、「ここのドヌーブの表情がいいんだ」やら「このタバコが伏線で効いてくる」とか言いあいながら、やいやい見る。幼い私はこの会話に参加することが憧れていた。

そんなわけで、小学校も高学年になる頃には、すっかり映画少年になっていた。それも、ワイルダーやヒッチコックを愛するかなり渋めというか、2世代ほど昔の映画ファンになってしまった。修行のように映画を見まくったこともあって、『大脱走』の頃はまだ残酷な描写が少なくて良いね、なんて会話を食卓でした記憶がある。いま親になった身で思い返すと、親父もわが子の行く末を心配したはずだが。

この元凶が『お楽しみはこれからだ』である。家の本棚で見つけて、まずタイトルに痺れた。当時の映画のタイトルは、かなり意訳したものが多く、例えばヒッチコックの To Catch a Thief を『泥棒成金』と訳している。親父に言わせれば「脂っこい翻訳で気持ち悪かった時代」だそうだが、私は大いにカッコいいと思った。

『お楽しみはこれからだ』は、名ゼリフをテーマにして映画を紹介する和田誠の代表的なエッセイであり、タイトルも名台詞から取られている。見開きで一組。最初に書かれているのは映画のタイトルではなく名ゼリフで、そのあと、そのワンシーンについてウィットに富んだ文章が書かれる。反対のページには大きく似顔絵イラストが描かれていた。和田誠の本業がイラストレーターだったことを知ったのは後のことだ。

以来、和田誠ファンになった私はほぼすべての著作を読んでいると思うのだけど、特に印象に残った作品が2つある。1つめは、『銀座界隈ドキドキの日々』というエッセイだ。

銀座百点というフリーペーパーに和田誠が連載していたエッセイを文庫化したものだったと思う。タイトル通り、和田さんが多摩美術大学を卒業して、銀座にあるライトパブリシティという広告制作会社に入社してから、独立して青山に事務所を構えるために銀座を出るまでの思い出を書いている。当時は、マスメディアが成長して、それに伴い広告業界がぐんぐん伸びている時代だったのだろう、様々な才能がライトという会社に集まって、いまではみんなが知っているような作品が、例えばNHKの『みんなのうた』とかが、生まれていくところが綴られており、高校生だった私は将来に夢膨らませながら何度も読み返した。

この記事はすべて記憶を辿って書いているが、20年たった今でも、本書に書かれたエピソードを覚えている。著名なフォトグラファーが来日したときに彼は「キミノブ」ではなく初めて「キシン」と名乗った。そのとき篠山紀信になったのだ、とか、人生で一度のオリンピックが開かれているときに日本にいないのはクールではないか、といって横尾忠信とヨーロッパ取材に行った、とか。

もう1つは『それはまた別の話』である。

これは、三谷幸喜と和田誠が連載していた映画コラムをまとめたものだ。『お楽しみはこれからだ』と趣旨を大きく変えて、1本の映画を頭からお尻まで語りつくす、という形式になっている。このタイトルも『あなただけ今晩は』というワイルダーの名作の中でバーテンダーが言う口癖からきている。この本とどちらが先か知らないが、三谷幸喜の『王様のレストラン』で松本幸四郎が言うセリフはこのパロディだ。

『アパートの鍵貸します』でシャリー・マクレーンが脇役のように登場してからぐんぐんとヒロインになっていく演出が上手い、とか、『裏窓』の撮影が終わった後にグレースケリーがモナコ王妃になってしまうのでその後のヒッチコック映画に出ていなくて残念だ、とか。こんな具合に、映画に対するピュアな愛情があふれていて、小賢しい講釈は一切ないところが良い。

 

初めて『お楽しみはこれからだ』を読んだときだったか、ふと親父に和田誠って有名なの?と尋ねたことがある。この質問に「亡くなったとき、大きく新聞には載らないだろうけど、多くのファンが悲しむだろうね」と彼は答えた。今回、和田誠の訃報を聞いたときに、この記憶が鮮明にフラッシュバックして、このエントリーを書かずにはいられなった。

合掌